日本脱カルト協会

 

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書評 「オウムをやめた私たち」

著者 カナリヤの会(編)

書名 オウムをやめた私たち 

出版社 岩波書店 2000年発行 

−カルト脱会者としての読後感−

「オウムをやめた私たち」は、オウム真理教を脱会した若者たちの座談会を中心に構成された、非常に貴重な、オウムを知る者たちの「生の声」が詰まった本である。「カナリヤの会」は、オウム脱会者が社会に居場所を見つけるまでの“止まり木”として1995年6月に発足した集まりで、本企画もここから生まれた。参加メンバーがしんどい作業に敢えて取り組んでくださったお陰で、このように充実した、言葉の一つ一つがとても重みを持つ「作品」に仕上がった。その勇気に心から敬意を表したいと思う。

私は1988年に統一協会を脱会して以来、多くのカルト脱会者と接している。実際に統一協会に関わったのは1年にも満たないから、脱会者キャリアの方がはるかに長い。そんな立場から共感したのは、座談会メンバーの中でもっとも脱会後年数が長い永岡辰哉くんの言葉である。彼はしばしば、脱会したての人間に対してある種の苛立ちを感じているのだが、それは私にも十分理解できるものだった。脱会してそれほど時間の経たない彼らは、直接犯罪行為に関わったわけではないし、第一、犯罪の事実を知る由もなかった。そのことに本人の責任はない。けれど、メンバーとしてオウムに属していたということは、間接的にそれに加担したことになるのだ。先に来た者としては、それに気づいて欲しいと思う。しかし、一方で、自分だってそう簡単に心の整理を済ませたわけではない。それを考えたら、ちゃんとそのときが来るまで待ってあげなければとも思う。「先輩脱会者」はそんな2つの気持ちの間で揺れ動く。自分も経験しているからこそ、社会の誰よりも理解してあげたいと思う反面、当事者の弱さ、嫌らしさも見えてしまうのだ。

また、脱会者は脱会後の時間が経過するにつれ、周囲とどう折り合いを付けるかが整理されてくる。ここに描かれた様々に経歴の異なるメンバーの談話からは、その成長の時差や個人差が見えてきた。

私は以前、カルト脱会者の青年期課題について論文を書いたことがある。「カナリヤの会」メンバーからも調査票回答にご協力いただいた。心理的にもしんどいはずの回答作業に丁寧に携わって下さったことに、心より感謝を申し述べたく思う。「青年期課題」というのは心理学の概念で、一方的に保護されることの多かった子ども時代から、社会の一員として独立していく際に対峙すると思われる課題を指している。青年期とは自分や親、社会に対しての考えを、子ども時代から大人へとシフトさせていく季節なのである。この座談会のメンバーもちょうどその年齢層に当たり、話題の内容が青年期課題と重なることが多かった。例えば、親に対して文句の多い人がいた。

そこからは、ある種の若さを感じ取ることができた。それは親に期待し、応えてくれて当然と思っていることの証だからだ。しかし、一定のレベルを超えると、「親だって人間だしな」という諦めとシンパシーも表現されてくる。これには実年齢も反映するが、オウムで過ごした年月や脱会してからの年月も反映する。

私は自分の運営するホームページ『カルトに傷ついたあなたへ』に、諜報省にいた井上嘉浩くんの裁判傍聴記を記している。彼は実年齢において私とは一歳しか違わないが、法廷の彼は16歳の少年のままだった。なまじ言葉を操るのがうまく、理路整然と説明をするものだから、いかにも大人っぽい印象を与えそうだが、その実、観念だけが先走りして内面が伴わない青臭さを漂わせていることに気づくには、そう時間はかからなかった。実年齢30歳になるいい大人が16歳のままで留まったことには、オウムと拘留という2つの特殊な生活環境に要因を求めるのが妥当だろう。いずれも他者とのコミュニケーションから学ぶという要素を著しく欠いている。

もうひとつ別の話をしよう。私が統一協会を辞めた直後、協会員の女性が私を取り戻しにやってきたことがある。その現場を取り押さえた私の母は、怒って彼女を警察に突き出した。取り調べた警官は、母に対して彼女のことを、「26歳にしては幼いね。ほんとに幼い」と何度も繰り返した。当時19歳の私は、それをどう理解してよいかわからなかったが、後に多くの脱会者と出会って、次第に理解するようになっていった。統一協会では、上から言われたことを自分で吟味することなく行うよう指示される。そのため、やがて自分の行動を自分で決められない人間になっていく。だから、自分のとった行動への釈明を求められても、「だって、パパがいいって言ったんだもん」という3歳レベルの受け答えしか出来なくなってしまう。それを警官は「幼い」と表現したのであろう。

カルトにいると、確実に人間成長は阻まれ、時には退行すらしてしまう。そして脱会した後も、自らの挫折感や周囲の無理解の中、再成長を遂げるにはあまりに困難が多い。有名になってしまったオウムの看板を背負うならば、尚更である。そんな中、様々な個別の事情を担って一生懸命生きている様子が、ある時は実年齢に比べて幼さを感じさせる発言を通して伝わってきた。

この中で一番胸が痛いのは、子どもについての記述だ。なぜ胸が痛むのかと言えば、子どもがこの集団でもっとも「まとも」だからである。自分の子どもと入信していた渡辺恵美子さんの談話に、こんな内容がある。「無意識に自分の子どものそばに寄ってしまったら、それを見た、それまでおとなしかったはずの他の子どもが暴れるようになってしまった。それは、愛されるという感覚を自分たち親子に見出して、その愛情を自分が手に出来ない状況を初めて察したからであろう。」「逆に暴れないで、優しくなる子どももいた。自分の子どもを探していた時、自分の子どもより歳の大きい5歳くらいの子どもが、自分のところに連れて来てくれた。同じようなことが何回か続いた。それは、自分たちも親のところへ連れていって欲しい。自分より小さな子どもが親を探しまわる姿を見るのは辛いという意味だったのだと思う」

子どもは良くも悪くも正直で率直だ。教理を頭に詰め込み、観念で納得させる大人のように自分を制御できないから、とりあえず素直に反応してしまう。そういう意味で、もっとも「まとも」なのである。しかし、おそらく現実はそこに留まらない。子どもは素直だが、悲しいかな大人が思っているよりはるかに適応力がある。“こんな教団まっぴらだ!”と反旗を翻すほどの知恵もないし、第一そこを出たら生きてはいけない。だから、一度目は素直に反応しても、それが適えられないことに気づくと、与えられた環境に一生懸命順応するようになってしまう。渡辺さんは、今は問題なく過ごしている自分の子どもの将来に不安を抱える。「もしかして思春期になって、子どもの頃の葛藤が何かの形で出てきたら、それは親子一緒に背負っていこうと思う」という彼女の言葉は、実に重い。

 オウム脱会者や信者の家族と出会う度に、本当に重いものを背負ってここまでやってこられたのだと思う。以前、私は、オウム脱会者である友人がテレビでインタビューを受けている映像に、とても奇妙な感覚を覚えたことがある。彼は私にとっては普通の友人だ。しかし、テレビに映る姿は「あのオウム」の元信者なのである。そのギャップをどう埋めてよいのか戸惑った。行方の知れない子どもを案じる信者の親御さんと会えば、他のカルト問題で困っている親御さんたちと接するのと変わらない気持ちで話しをする。しかし、そこから聞こえてくる情報は、いつかニュースで聞いたオウムの転居騒ぎに絡む地名だ。やっぱり「あのオウム」なのである。言うなれば、オウムを近しく思っている私でも、すっかりステレオタイプ化された「オウム像」と実際の当事者との距離を測りかねている。私ですらそうなのだから、世間の第三者が当事者にシンパシーを抱くこともなく、「あのオウム」像を押し付けてくるのは想像に難くない。脱会者や親御さんたち、あるいは現・信者さんは、そんな社会とお付きあいしなければならないのである。カルト脱会者は自分の経験を滅多にカムアウトしない。最初のうちは話しても、あまりに周囲に理解されないことに気付くとやがて口を閉ざしてしまう。カルト一般ですらそう言えるのだから、オウムの看板を背負い、”社会の目”を痛いほど知らされるオウム当事者たちは、おそらくその何十倍も苦しく、苦い思いをしているはずだ。それを考えると、本当に胸が痛む。

最後に、今一度、彼らに再起のチャンスが与えられていることの重みを噛み締めたい。残酷にも、オウムの起した事件は多くの人々から再起のチャンスを奪い取った。被害者からも、そして被告や受刑囚からも。そんな中、今は希望が見えなくても、夜明けが遠くても、いつかきっと彼らに再起のチャンスが来るであろうことを、共に待ちわびたいと思う。それを大切にすることが、被害者としてチャンスを奪われた人々への償いとなり、ほんの少しの差で加害者になってしまった被告や受刑囚の思いを担うものになると信じている。「オウムをやめた私たち」の未来がどう描かれるのか、今から密やかに、楽しみにしておこう。

(戸田京子 JSCPR会員 一橋大学大学院社会学研究科)

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